心敬の文学作品における創造と新撰菟玖波文学圏への影響についての総合的研究
(平成21年度〜23年度 基盤研究(C) 研究課題番号: 21520197)
中世歌学の享受から見た心敬の文学作品の創造と新撰菟玖波文学圏への影響に関する研究
(平成24年度〜29年度 基盤研究(C) 研究課題番号: 24520222)
[研究組織] |
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研究代表者 | 伊藤伸江 | 愛知県立大学教授 |
研究分担者 | 奥田勲 | 聖心女子大学名誉教授 |
研究協力者 | 中尾堯 | 立正大学名誉教授 |
研究協力者 | 小川靖彦 | 青山学院大学教授 |
[研究概要]
本研究は、心敬の文学作品(連歌、連歌論、和歌)に対し、心敬の家集・歌論・連歌論研究に継続してとりくんでいる伊藤と、『新撰菟玖波集』の全釈を編者として完成させた奥田が、それぞれの視点からの問題意識を提供し、心敬の文学的な創造・達成の状況を明らかにし、新撰菟玖波文学圏への影響の度合をも分析するためにとりくむものである。
本研究においてその作品を考察対象とする心敬(1406〜1475)は、高い文学的到達点を示す幅広い創作活動によって、日本中世文化史に特筆されるべき存在である。とりわけ、仏教思想と歌論の融合によりあみだした独特かつ難解な連歌論は、中世思想の最高峰と目され、鮮やかな感覚が冴える連歌の付合は、宗祇に学ばれ『新撰菟玖波集』をはじめとする後代の文学に多大な影響を与えている。しかし、その思想の難解さゆえに、彼の連歌論研究が充分になされているとは言い難く、また連歌作品への積極的な接近も未だ少ない。心敬の文学作品が、応仁・文明期という日本中世文学の重要な転換期において大きな力を及ぼしていることは明白であり、そうした問題意識に基づいて先学の研究が重ねられてきたが、現時点では、心敬研究に主にとりくんでいる連歌研究者はほぼいない(国文学研究資料館の国文学論文テータベースによれば、心敬の文学作品に関する論文は2007年に1件、2006年に2件である。)という、研究の空白が存している状況である。
まず、過去の心敬研究の蓄積を概観すれば、総論としての心敬研究は、木藤才蔵『連歌史論考 増補改訂版』(1993・明治書院)、金子金治郎『心敬の生活と作品』(昭和57・桜楓社)、島津忠夫著作集第四巻『心敬と宗祇』(2004・和泉書院)等があり、心敬の生涯の概説と作品紹介がなされ久しいが、諸学の論も説が分かれ、研究が深められるべき余地が見受けられる。
次に、各論として、和歌を取り上げれば、心敬自身の和歌は、『権大僧都心敬集』『心敬僧都百首』『芝草句内岩橋下』『心敬僧都十躰和歌』その他に約九百首が残るが、私家集大成、新編国歌大観、湯浅清『心敬の研究 索引編』(平成元・風間書房)等に翻刻は存しても、注釈作業はいまだすすんでいない。また、稲田利徳「正徹と心敬」(『正徹の研究』(昭和53・笠間書院))がはやく論じているように、心敬の和歌は正徹歌と深い関わりを持つ。このような心敬和歌の本質をあきらめるためにも、伊藤が既になした『権大僧都心敬集』注釈に加え、より多くの心敬歌の注釈を進め、『芝草句内岩橋下』に存する自注付和歌を解明することが不可欠である。
また、心敬の連歌作品は、貴重古典籍叢刊5『心敬作品集』(昭和47・角川書店)、湯浅清『心敬の研究 校文編』(昭和61・風間書房)に翻刻され、岡本彦一『心敬の世界』(昭和48・桜楓社)の注解等につづき、詳細な注釈としては、島津忠夫校注「寛正七年心敬等何人百韻」(新潮古典集成『連歌集』(昭和54・新潮社))や金子金治郎『心敬の生活と作品』(昭和57・桜楓社)の『芝草内連歌合』からの抄出評釈と、「応仁元年心敬独吟百韻」、「応仁二年冬心敬等何人百韻」の訳注が存する。だが、上記の程度では、心敬の参加した連歌百韻の注釈は、わずかしかなされていないと言わざるをえない。より多くの注釈をなすことが心敬の連歌研究進展のためには必要であり、さらにその注釈に際しては、撰集、句集入集以前の、百韻の流れの中の心敬の句のうぶな姿にたちかえって検討することで、連歌の場における心敬の役割を真に正確にとらえようとする視点が求められるのである。
本研究では、伊藤が『草根集 権大僧都心敬集
再昌』(平成17・明治書院)で行なった正徹・心敬の和歌の注釈作業によって得た知見を、心敬の連歌作品の分析にも取り入れ、とりわけ心敬の在京時代、和歌・連歌共に活躍の場を得た嘉吉・文安年間における作品を、正徹和歌、歌論を常に検討対象に入れつつ考察する。加えて、奥田が『新撰菟玖波集全釈』第一〜八巻(平成11〜平成19・三弥井書店)において、心敬の新撰菟玖波集入集句を詳細に検討した知見を元に、心敬の参加した連歌百韻の注釈作業を精力的に進め、連歌の場での句の検証にすすむ。さらに、心敬と宗祇との影響関係について、奥田は著書『宗祇』(平成10・吉川弘文館)で宗祇側から跡づけたが、今後、心敬の東国下向以降、宗祇と心敬が同座する百韻に関して詳細に注釈し検討することで、両者の関係に心敬の側からの新見を予定する。
加えて、心敬は寛正年間以後、多くの連歌論を著しているが、彼の連歌論の読解にあたっては、木藤才蔵『さゝめごとの研究』(平成2・臨川書店)がはやく示唆しているように、内外の典籍の縦横の引用を理解する必要がある。それゆえ、連歌論についての研究は、『連歌貴重文献集成第四巻』(昭和55・勉誠社)において『ささめごと』を担当し、かつ長年にわたり醍醐寺、高山寺、石山寺等で文献調査研究をなし、数多くの聖教目録を作成した奥田の主導の下に、新たに心敬の連歌論における仏典利用の実態を調査、本格的な読解へと扉を開いていく。さらに、在京時の心敬は、連歌を通じて本能寺をはじめとする法華宗寺院と関わりを持っている。東国滞在時においても、彼の行動は、法華宗寺院、信徒との深い関わりを抜きにして考えることはできない。それゆえ、法華宗寺院の文献調査を幅広く行なう法華宗研究者、中尾氏の研究協力を受け、法華宗寺院サロンの解明という視点からも、心敬が日本中世文化に果たした役割を考えていく。